『ハロー!フィンガー5』

日本映画専門チャンネル『ハロー!フィンガー5』(1974年、監督:福原進)


 東宝チャンピオンまつりでアニメと同時放映された20分の短い作品。ヒット曲を中心に、ドキュメンタリータッチで5人兄弟の日常の姿も撮っている。
 小学校時代の私は、妙子ちゃんの大ファンだった。フィンガー5のレコードを発売と同時に買うのは当然、速攻で歌も踊りも完全マスターし、妙子ちゃんになりきった。あきら君のサングラスを買って友達にかけさせ、フィンガー5ごっこを飽きもせずやったものである。


 この頃は、好きな人の真似をしたり、同じ物を持ったりするのが何より楽しかった。『平凡』や『明星』に載っていた妙子ちゃんの愛用品を真剣に見入り、筆箱の中の鉛筆や消しゴムまでお揃いにして喜んでいた。
 今は幼児期ですら、個性とか想像力のあることが手放しでよしとされているようである。
 だが、誰かの真似をしたり、大きく影響を受けたりし、更にはそれを自覚してゆくことも大切である。
 自分にしかできないことやオリジナリティーを強調するのもいいが、猿まねでもパクリでもいいから、好きで好きで仕方がないものに一度すっかり自分を投入し、存分に楽しんだ後にこそ、想像性は芽生えてくるように思う。
 個性を出そうとか想像力を働かせようという意識を忘れ去った後、いやでも出てきてしまうものが良くも悪しくも自分らしさなのではないだろうか。

『ピンク・レディーの活動大写真』

 日本映画専門チャンネルピンク・レディーの活動大写真』(1978年、監督:小谷承靖、原案:ジェームス三木


 オムニバス仕立て。ピンク・レディーの主演映画を制作するために、プロデューサー・監督・脚本家がアイデアを練っている。当時の超ヒット曲を挟みながら、彼らの頭の中のアイデア(市井もの、SF、西部劇など)をピンク・レディーが演じるという構成。


 ピンク・レディー全盛期に、リアルタイムで歌い、賢明に振り付けを覚えた世代には、『サウスポー』『モンスター』『UFO』『透明人間』『S.O.S』『ウォンテッド』とこられては、チャンネルをかえるわけにはいかなります。深みのない、楽しいだけの歌謡曲が嬉しい。懐かしい。すばらしい。
 ミイとケイが地味な姉妹を演じるバージョンでは、浅草酉の市のポスターがつい目に入り、そればかりが気になってしまった。

『ロアルド・ダール劇場:予期せぬ出来事』

ミステリチャンネルロアルド・ダール劇場:予期せぬ出来事』(1979年、イギリス制作)
 ブラックユーモア、奇妙な短編の名手として名高いダールの作品のドラマ化全9話。


 中でも「南から来た男」(『あなたに似た人』(田村?一訳、ハヤカワ文庫)所収)は、映画『フォー・ルームス』第4話(クエンティン・タランティーノ脚本・監督)、“小指を賭ける”話の元ネタでもあり、特に印象に残った。タランティーノ監督の映像の方が、自然に笑えてユーモアに富んではいるが。


 映像に限って言えば、日本の古い映画やドラマを見た時よりもいっそう古くささを感じる。だが、物語が上等であればその骨組み、ユーモアや恐怖の核の部分を味わうには、外国のものの方が映像の雰囲気に惑わされずよいのかもしれない。
 奇妙な話がふつうに享受されている今となっては、どれもどこかで見聞きした話で、筋はわかっており、画面も地味で馴染みにくい、それでもなぜが繰り返し見てしまう。話としての力を感じながら楽しんだ。

『樋口一葉』

 ホームドラマチャンネル『樋口一葉』最終回。このごろ見た連続ドラマの中では、次回を楽しみにして待った予期せぬ逸品。


 一葉は最後まで、冷静に自分の作品を判じることができた。「たけくらべ」が鴎外・露伴・緑雨の三人で作っていた文芸評論誌で絶賛され、作家として確固たる地位を築き、それとともに突如として無批判に絶賛口調になる風評・論調に苛立っていた。
 そんな中、斉藤緑雨だけはきちんと自分の作品を批評してくれていると信頼をおいていた。一葉は最晩年、かなりうまが合ったというその緑雨と激しい議論を交わしたらしいが、作品を作品としてきちんと評してくれる人物が傍にいたことは幸せなことである。作家は代表作と言われるものを書いてしまった後、どれくらい冷静に自分の作品に向き合っていけるかが問題なのである。
 緑雨はひねくれ者といわれているが、一葉の死後も樋口家の面倒をみた人物であり、このドラマで急に興味がわいた。


 ふと思ったのだが、樋口一葉の物語を映画『曾根崎心中』のように文楽の人形で演じたらどうだろうか。一重瞼のつるりとした白い女形の顔は、「玉子みたいな顔」と言われた一葉にとても合っている。

『ムー』

TBSチャンネル『ムー』(1977年)。再放送されるとつい何度でも見てしまう番組のひとつ。
 毎回朝9時からの放映なので、『うさぎや』(足袋の老舗)のおちゃらかな日常(ドラマの一話分は、その日一日の出来事という構成)とともに、自分の今日一日もスタートする。


 『うさぎや』をめぐる人々は、誰も自分の内面などと向き合って難しく思い悩んだりしない。陰湿で不愉快なだけの人間関係に煩わされもしない。これといった事件が起こるわけでもないとりとめのない日々の出来事に、手抜きをせずあたり前に取り組んでいるだけである。だから見ていて気分がいい。
 特によかったのは、家族全員で海水浴に行くか行かないか、なんやかんやあたふたやっているだけの回。結局その日は雨で中止となるのだが、その予想のつくオチ具合にも腹は立たず爽快な気分になる。こういう何でもない楽しい話(ドラマ)は実に貴重である。


 毎回お待ちかねの歌のコーナー、郷ひろみ樹木希林の『お化けのロック』が始まると、この振り付けを覚えようと「イッヒイッヒヒ、イヒイヒ」と体が勝手に動き出し、こんな具合に唐突にドラマ内「歌謡コーナー」が始まっても、まったく不自然でなく楽しめたことに、良いドラマが作られているときの勢いを痛感するのである。

『BSアニメ夜話』

 BS2『BSアニメ夜話』。もはや楽しみにして待つ番組のひとつ。
 今回も4夜連続。


 第3夜『不思議の海のナディア』と第4夜『機動戦士ガンダム』がとても面白かった。
 両方とも原アニメをきちんと見ていない(ものすごい負い目である)のに、ここまで楽しめる番組になっていることにアニメ好きの真の底力のようなものを感じた。
 第1夜と2夜目ではちょっと本来のテンションとは違う方向に行きがちだった(岡田斗司夫氏の巧みな司会でどうにか留まっていた)のが気になったが、後半2回で十分盛り返し、「第3シリーズも絶対見る」という気持ちになった。


『ナディア』では、なくてはならないライオン「キング」の可愛らしさ、アニメに登場する「動物もの」の意味合いが、唐沢俊一氏によってきちんと説明されていて嬉しい限りだ。
ガンダム』では、さすがに通常と形式をかえ、一家言(以上)持つ人々がずらりと並ぶ。
 徐々に味わいを増してきたアニメ評論家氷川竜介氏が、今回はゲストとして席を連ねたものの、語り足りずもどかしそうにしているところがまたよかった。
 アニメ監督北久保弘之氏の「富野監督話」で最後まで引っ張られたが、前回よりもパワーアップして健康的(不気味さが薄れたよう)に見えるのはこちらの目が慣れたせいだろうか。
 小谷真理氏の「今だからシャアが好きと言える」の発言に、臨席の福井敏晴氏が「そういう歳になったから・・・」とのそりと応じたのが、なんと言っても痛快だった。図星である。
 自分に照らして考えても、おばさんになったが故に臆面もなく好き嫌いが言えるというのは事実である。私も、この歳になったからこそ、このようにアニメやバラエティ好きを公言しているのであって、若い頃は日本の娯楽映画がやっぱり好きなどと人前では言えなかったものである。

『デビルマン』テレビアニメ版

 東映チャンネル『デビルマン』テレビアニメ版39話(1972〜3年)一挙放送。


「あれは誰だ、誰だ、誰だ・・・裏ぎり者の名を受けて・・・」(作詞:阿久悠)という主題歌で始まる通り、テレビ版ではデビルマンは最初からデーモン族であり、不動明にのりうつるところから話は始まる。
 だが人間界で美樹と仲良くなってしまうデビルマンはデーモン族を裏切り、ゼノンが送り込む妖獣どもと一人戦い続けることになる。結局は正体を知られてしまうものの、愛する美樹ちゃんとラストは一応のハッピーエンドを迎える。


 一挙に見た後、頭に残るのは「今日もどこかでデビルマン、今日もどこかで、デビルマン」というエンディングの歌(これを聞いて思い出すのは、『とんねるずのみなさんのおかげです』でやっていた「デビルタカマンン」の小野みゆきデビルマン、都会を見下ろすタワーに腕組みをして座っている姿が印象的)。
 そして、明君がいつも着ているAというロゴの黄色いTシャツ、「デビール!」といって変身する際そのTシャツを毎回ビリビリに引き裂くシーンなのである。
 まったくこれでは、幼児期に見たときの感想とつゆほどもかわらない。